むかーし、むかーし、そのまた昔。
私が生まれるず~と前、遥かなるいにしえの時代。。
あるところに " 平凡 ” という雑誌があったそうな(笑)
その雑誌には、人々の憧れが詰まってたんだとさ。
かっこいい俳優さん、鬼のようにキレイな女優さんたち ♪
憧れて恋焦がれた、銀幕のスターたちのグラビア写真があったそうな。
それはそれは眩いばかりに輝いて、それはそれはキラキラして艶やかで、、
貧しかった庶民にとっては雲の上の存在、まさに夜空の星(スター)だったそうな (*˘.˘*) ..。oO
・・・ってことで今回は、、
1950年代の後半に活躍した銀幕のスターさんを紹介します。
月間平凡にのっているキラッと輝いていたスター女優のオンパレードです ♪
平凡の付録(歌本・スター住所録など)
驚くことに、スターの家電まで載ってます。怖くなかったのかな??
私が"平凡 ” を初めて手にしたのは、
聖子ちゃん伊代ちゃん明菜ちゃんらが活躍していた頃。
そう、私の時代の平凡はアイドル全盛期と呼ばれていた80年代でした ♪
今回紹介するのは、その1980年代から遡ること30年。
1950年代に活躍したアイドル・・・ではなくスター ☆彡
私が生まれる前なので、顔も名前もぜんぜん知らない方ばかり。。
まさに「 未知の領域 」「 未知との遭遇 」でしたが、
当時の平凡を読み漁り、何とか当時の様子を知ることができました (*^^)v
そういう意味では、月刊平凡は良き教科書でしたよ~(笑)
ところで、日本映画の黄金時代ってご存じですか?
昭和20年代~昭和30年代がその時期になります。
西暦ですと1950年~1960年代まで。
その頃はテレビが普及する前でしたので、人々の関心が映画に集中していました。
なので当然ですが、映画に出演していた俳優・女優さんが憧れの的となったんですね。
では、背景となった昭和20年代~30年代の日本はどんなだったか?
なんとなーく思い浮かぶのは、映画【3丁目の夕日】のイメージですよね。
みんな貧乏だったけど、未来に夢と希望をもち人情味あふれた時代 ♪
現代の人々が忘れてしまった大切なものが残っていた時代 ♪
私自身もそんなイメージを持っていました。。
だがしかーし、
ちょっと調べただけで、そのイメージに違和感を感じました。。
少し考えれば分かることなのに、いったん思い込んでしまうと駄目ですね。
そうなんです、昭和30年代って実は怖い時代だった Σ( ̄ロ ̄|||)マジ
日本人の大部分が貧困で、各地にスラム街のような無法地帯があったりとか。。
モラルもへったくれもない、かなり無秩序な " 闇 ” を抱えた時代だったようです。
映画【3丁目の夕日】は、古き良き時代のノスタルジーを極端に美化したものなんですね。
この時代に、任侠映画が大ヒットしていた理由もわかる気がします。
高倉健、鶴田浩二、菅原文太、など当時の人気スターはヤクザ映画で人気を博しています。
当時の映画界と裏社会は、とても濃厚な繋がりがあったらしいですね (((((((( ;゚Д゚)
ま、昭和にも闇の部分はあるとして、、
私はやっぱり昭和が好きなのでポジティブに受け止めます ♪
三種の神器・新幹線開通・東京オリンピック、時は高度成長期、、光と影はあって当然ですから。
生きるため、家族を守るため、多少は荒っぽいこともあったんですね。
映画の【 3丁目の夕日 】についても、昭和の"日の当たる場所 ” として捉えます。
昭和41年に生まれの私は、幼少期を過ごした昭和40年代の記憶は残ってます。
実際に体験した昭和40年代は、映画の3丁目の夕日の面影を色濃く残していました。
濃密な人間関係も残っていて、私の周りのも喜怒哀楽の激しい人たちがたくさんいて。
それは子供だけでなく大人も感情を隠したりせず、泣いたり笑ったりしていてました。
3丁目の夕日の名残りを感じさせる、本当に素朴で人間味のあった時代だったんです (*˘.˘*) ..。oO
ま、生まれ育ったのが田舎だったからかも知れません(笑)
そんなこんなで~、私は映画【 3丁目の夕日 】を支持します!\(^^; ドウデモイイワ!
ま、結構のめり込んだので、今さら引っ込みがつかないのかも知れません(爆)
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
さぁ~それでは、
映画黄金時代に圧倒的なオーラで輝きまくった 往年の大スターさんを紹介します ♪
大川恵子 当時22才
1959年3月号(昭和29年)
うわっ!美人だね~ ♪ 美人さん大好き~ (//ω//)/
令和でも、よゆーで主役とか出来そうですね~ ♪
でも、昭和20年代は女性が主役って映画はほぼ無かった時代なんです。
大川恵子さんは100本ちかく映画に出演されていますが主演は1本なんです。。
ただ、時代劇のお姫様役が多かったため、映画黄金時代のスーパースターであった
中村錦之助や大川橋蔵など、大スターのヒロイン役は数多くつとめています ♪
当時はプログラムピクチャーの時代で、
映画各社が2週間ごとに新作映画を2本立てで上映していたため、
街には次回公開予定の映画看板が、ズラズラ~っと立ち並んでいたそうです。
こんな感じの看板ポスターです( いずれも大川恵子さんがヒロイン)
料金80円なんですよ~ しかも2本立てで Σ(=゚ω゚=;) 安っ!
そしてそして~、当時の東映時代劇といえば、
人気スターが揃っていたため、なにを作ってもヒットする時代でした。
なので、東映の " お姫さま役 ” も相当数が在籍していました。
有名どころは、大川恵子、花園ひろみ、桜町弘子、丘さとみ、佐久間良子 etc.
その中でも、大川恵子さんは1番人気でした
因みに、東映の人気お姫様は「 東映城の三姫」と呼ばれていました。
三姫たちも普段は洋服なんですね (#^ω^ソリャソーダ
唯一主役を務めた映画がこれ! こっちは大人60円 小人40円
※ 出前ラーメンが40円の時代です
◆大川恵子プロフィール
生年月日:1936年7月26日
活動期間:1956年~1962年
身 長:161cm
愛 称:カコちゃん
大川恵子さんは、月刊平凡のミス平凡に選ばれ女優でビュー ♪
時代劇黄金期のお姫様役として活躍した正統派美人女優です ♪
あっという間に東映の看板女優となり、24才であっとけなく引退。
こんな時代なのに、育ちの良さとか上品さがわかる女性でした。
インタビュー記事に、女優として京都に旅立つときに母親から言われた言葉を紹介していて、
『 間違ってもスターになどならないで、早く帰って来ていい奥さんになりなさいね。』
ずっと女優になるのを嫌がっていた娘に母が気遣った言葉でした。。
実際、人気絶頂の24才の時、一般のサラリーマンと結婚し突然引退しました。
人気も実力もあったのに、女優で大成する欲をサラッと捨ててしまったんです。
引退後は女優復帰することも、マスコミの対応もいっさいなく現在に至ります。
その引き際の潔さから、本当に清らかな方だったんだろうと想像できますね ♪
この時代では、いそうで滅多にいないタイプなんですよ~(笑)
実は平凡を読んで分かったんですが、結構この時代の女優さんや俳優さんはやりたい放題!?
都合の悪いことは、大手の映画会社に所属して入れば週刊誌でもテレビでも一切出ません。
ずっと後で分かるのは、本人が暴露しているからです。
役柄で相手役になると、実生活でもちょっとだけ付き合ってしまう。。
もちろん全員ではありませんが、けっこうな頻度であったようです。
『ボクは、映画の相手役の全員と関係を持った!』銀幕のスター破天荒あるある(爆)
本当か噓か分かりませんが、某俳優さんがトーク番組で武勇伝的に話しています。
そんな時代でも、大川恵子さんは恋愛報道どころか浮いた話しすら一切ありません。
映画で相手役が多かった大川橋蔵さんが本人との雑誌対談の記事で、
『 カコちゃんは本当に純粋で身持ちが固すぎる!』と語っています。
たぶん想像するに、反面教師が周りにたくさんいて学んだんでしょうね(笑)
では、清楚系女子だった大川恵子さんの記事をどうぞ~ ♪
月刊平凡にもたくさん載ってましたよ~ ♪
・・・さて、ここで問題です(笑)
【 問題 】大川恵子さんの隣の美女はダレ?
◎ヒント1
・左は司葉子さんです
◎ヒント2
・・・大島渚監督の奥様です。。
はい、正解です!
【 正解 】小山明子さん ♪ 大島渚監督の奥様ですね ♪
大島監督からのプロポーズの言葉は『 百貨店の物を何でも買ってあげるから』(笑)
・・・脱線おわり・・・
大川恵子さんの記事に戻ります
大川恵子さんは、現在86才になられています。
一般人のサラリーマンと結婚後60年間も、いっさい姿を見せないので完全な消息不明です。
きっと、今頃はお孫さんもいて、旦那さんと仲睦まじく暮らしていることと思います。
引退前の大川恵子さんのインタビュー記事を引用します。
【 結婚への夢は?】という問いに対して・・・
『 私ってとても嫉妬深いの、だから俳優さんはいや。女性の少ないところに勤めるサラリーマン
がいいの。月給が安くて家計をやりくりしてもその方がいいわ』
『 女は旦那さんを大切にし、旦那さんは奥さんを大事に大事にすれば、これ以上の幸福な家庭は
ないわ。。私もそれが夢なの。昔から女優になる以上の夢だわ。。』
憶測ではありますが、、、
大川恵子さんはおそらく、いや絶対、理想の結婚生活を実現させてることでしょう ♪
でもって、旦那様にも大切に大切にされ、86才の今も美魔女になってますね ☆
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
芦川いづみ 当時21才
1957年(昭和32年)7月号
芦川いづみさんは、映画黄金時代の銀幕のトップ女優 ♪
当時はその美しさから「 和製オードリーヘップバーン」と呼ばれたそうです。
◆芦川いづみプロフィール
生年月日:1935年10月6日
活動期間:1953年~1968年
身 長:162cm
愛 称:おムギ
1952年、松竹歌劇団に合格 ♪
1953年、映画【 東京マダムと大阪夫人】で女優デビュー
1955年、日活に移籍し日活黄金期の看板女優となります
飛ぶ鳥を落とす人気だったため、こちらも平凡にかなり多く登場していました ♪
※ 拡大して読んでくださいね
デビュー間もない吉永小百合さんと共演
◎こちらは映画ポスター
石原裕次郎さんとの共演も
映画【若草物語】には当時の4大女優の共演~
左から、芦川いづみ・吉永小百合・和泉雅子・浅丘ルリ子、、お父さん役はダレ?(・_・)\(^^; シラベナサイ!!
・・・と、華々しい快進撃の芦川さんでしたが、
33才の時にいきなりの電撃結婚&女優引退 (゚Д゚≡゚д゚)エッ!?
しかもお相手は、当時まだまったく無名の俳優だった 藤竜也さんです。
私の知っているシブーイ藤竜也さんではなく超初々しい(笑)
でもって~ 交際1カ月のスピード婚だったそうです。
当時、女優は結婚と同時に引退するのは当たり前の時代でした。
なので、当然ながら各方面から猛反対されたそうです。。
そこで、その場を収め無事結婚することができたのは石原裕次郎さんがいたから。
裕次郎さんが間に入って、2人の結婚の妨げとなる全てを解決してくれたそうです
芦川いづみさんは、結婚後に女優復帰することなく現在に至ります。
公の場にも、ほとんど姿を見せることなく家庭を守り藤竜也さんを支え続けたようです。
引退から40年後の2007年、一度だけ日活OB会に姿をみせて話題になっています。
そして、結婚した時点では無名だった 藤竜也さんは、
この結婚を機に、チャンスをものにして一気にスターダムにのし上がります!
私の知っているシブーーイ藤竜也さんとなって・・
1968年の電撃引退から今年で54年の月日が流れました。
芦川いづみさん自身は、マスコミの前に姿を現さないのですが、
藤竜也さんはテレビ番組などで夫婦のエピソードを少しだけ話しています。
藤竜也さん曰く、
自分の俳優人生は順風満帆ではなかったけど妻がいてくれたから頑張れた。
歳を取った最近は、明日も無事に会おうねと、寝る前に握手をしている。
・・・だそうです、今でも仲睦まじい関係は続いているようですね ♪
現在、芦川いづみさんは86才になられています。
私は芦川さんを見たことがありません。。是非とも拝見したい!
まだまだ若い86才なので電撃復帰を期待していますよ~ ( ^ ^ ♪
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
扇千景 当時23才
扇千景さんは、元宝塚歌劇団の娘役のトップスター ♪
とんとん拍子で映画女優としても53作品に出演し美人女優として活躍されました。
40才半ばには政界進出を果たし、国土交通大臣なで昇りつめましたね
◆扇千景さんのプロフィール
生年月日:1933年5月10日
活動期間:1954年~1988年(女優)
:1955年~2007年(政治家)
身 長:160cm
愛 称:カン子
1958年、中村扇雀さん(のちの4代目坂田藤十郎)と結婚
この結婚は、女優時代の共演がきっかけで旦那さんの猛アタックがあったそうな。。
2021年に旦那さんが亡くなるまで62年間とても仲の良い夫婦だったそうです ♪
若き日のお二人です ♪
1958年、結婚会見もアツアツですね(笑)
歌舞伎界の大スターと人気女優の結婚なので、当時はかなり話題になったそうです。
左:26才、右:68才
40年の月日は無情です(笑)でもよく見てみると口元は昔のままでした (^^♪
でもって、若いころ
更にもっと若いころの画像もありました
1956年 映画【 お初の片恋】中村メイコさんと共演
1957年 映画【 花嫁は待っている】
月刊平凡にもたくさん載ってます
32才で出演された扇千景さんのCMをどうぞ~ ♪
扇千景さんは現在89才になられています。
最愛の夫を亡くしてお辛いでしょうが元気に長生きしてほしいですね。。
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
乙羽信子 当時26才
丸顔に 「 百万ドルのエクボ 」で人気の個性派女優
乙羽信子さんも、元宝塚の娘役トップスター ♪
戦後の宝塚歌劇団 第一期黄金時代を支えた大スターでした。
◆乙羽信子プロフィール
生年月日:1924年10月1日
没年月日:1994年12月22日
身 長:150cm
愛 称:オカジ
1950年、宝塚を退団後し大映に移籍。
「 百萬弗のゑくぼ」がキャッチフレーズで映画界でもスターとなります。
◎宝塚時代
めっちゃ古い写真です。(宝塚時代のお写真は70年以上前)
1950年、映画【 処女峰】で上原謙と共演で女優デビュー
1952年の映画【 原爆の子】
月刊平凡にも登場!
月刊平凡1951年12月号
・・・がしかーし、
1952年、近代映画協会に移籍。
これを機に女優として方向転換し、宝塚出身・お嬢様女優・清純派のイメージを捨て、、(゚∇゚ ;)エッ!?
以降、強烈な演技派女優として日本映画史にその名を残します。
1954年公開の映画【 どぶ 】
・・・あれっバカ殿!?
「 百萬弗のゑくぼ 」はどこにいったんでしょうね?(笑)
◎映画【 どぶ 】あらすじ
舞台は、戦後間もない川崎のバラック部落。
この部落にはギャンブルに夢中でその日暮らしの人々が住んでいました。
そこに失業により生き倒れ寸前のツルとい女性(乙羽信子)が転がり込みます。
集落の中でも誰よりも汚らしく、でも心は誰よりも美しいツル。
ツルはバラックの仲間の借金を返すため、夜の街で身体を張って稼ぎます。
それなのにバラックの仲間は働かずギャンブル。。
そんなある日、ちょっとした誤解からツルはバラックを追い出されてしまいます。
呆然自失で街をさまよっていると、夜の商売敵があらわれピンチに。。
ツルは常軌を逸し、不在の交番から拳銃を奪って、、挙句の果てに自分が撃たれ死亡。
ご遺体を前にして、ツルのありがたみにやっと気づくバラックの住民たちでした。。
・・・気づくのおせーよ!(笑)
そして、より過激に・・・(((( ;゚д゚)))
おーい、100万ドルのエクボは・・・?
1964年公開の映画【 鬼婆 】
こちらもシュールな作品です(笑)
【 鬼婆 】あらすじ
戦乱の時代、飢えた2人の女性が、草むらに潜んで武士を襲い身ぐるみ剥いで売りさばく生活。
しかし、若い女に男ができ相方がいなくなる事を恐れた老婆は、鬼の面を付けて男を追い払う!?
だが、やがて老婆は本物の鬼になってしまった。。チャンチャン
なんちゅー話やねん!!
この鬼になる老婆役を演じていたのが乙羽さんでした(笑)
1971年、テレビドラマ【 肝っ玉かあさん】
私の乙羽信子さんのイメージはコレです ♪
乙羽信子さんは、私が子供のころによくテレビに出演されていました。
上の写真のような、かっぽう着姿でお母さんというよりお婆ちゃんのイメージでした。
1983年、驚異的な視聴率を記録したNHKドラマ【 おしん 】に出演。
乙羽さんはこの時59才になられていていましたが、主人公の晩年を演じ高評価を得ています。
◎映画監督と女優、42年の映画人生
私生活では、1952年に出演した映画【 原爆の子】の映画監督:新藤兼人さんと不倫関係となり、
ここから乙羽さんは新藤監督と42年間にわたる二人三脚の映画人生がはじまります。
1978年、新藤監督の前妻が亡くなったあと正式に結婚されています。
1994年、乙羽さんの遺作となった映画【 午後の遺言状】までその関係は続きました ♪
☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆
八千草薫 当時25才
1956年4月号
今回紹介するスターさんの中でも唯一よく憶えている八千草薫さんです。
40年前のテレビドラマ【茜さんのお弁当】に出演されていました。
既におばあちゃん的な女優さんでしたがおっとりとした話し方を憶えています。
◆八千草薫プロフィール
生年月日:1931年1月6日
没年月日:2019年10月24日
活動期間:1947年~2019年(現役生活72年)
身 長:154cm
愛 称:ヒトミちゃん(本名に由来)
元宝塚の美貌で清純派の娘役で一世風靡したのち銀幕のスターになりました。
「 お嫁さんにしたい有名人」では、何度も1位に輝くなど皆に愛されたんですね~
ではでは、お若くて美しい八千草薫をご覧ください。
お顔もアーップ!
月刊平凡にも、たーくさん掲載されています ♪
当時の人気俳優No.1の鶴田浩二さん、No.2の三船敏郎さんと、、
銀幕スターの折原啓子さんと、、映画のオフショットも楽しそう ♪
元宝塚出身の映画スターが同窓会をやってます ♪
1953年の映画【 旅はそよ風 】
平凡紙上でもわかる通り、順風満帆な女優人生。
銀幕のスターとして煌びやかな人生を謳歌していたんでしょう ♪
そしてそして~、、26才の時、人生の節目となる出来事が起こります。。
1957年5月号に衝撃の記事がどーん!
こちらは、映画監督の谷口千吉さんが八千草薫さんにプロポーズをしたという記事。
谷口監督はこの記事の1年前に女優の若山セツ子さんと離婚したばかり。
しかも、その前にも離婚歴がありバツ2の45才。
一方、八千草薫さんはもちろん初婚で超人気スターの26才でした。
でもこの記事を監督自らリークしたのには揺るがない自信があったようですね。
でもって~
上の記事から2か月後の1957年7月21日に結婚式~♪
八千草薫さんは、1931年生まれ、幼少期に父親を亡くしたため、
それでなくても大変な時代に、母1人子1人の母子家庭で育ちました。
そのため、華やかな世界に憧れて宝塚歌劇団に入ったそうです。
そして清潔感のある美貌と演技力で、宝塚のトップ娘役となって人気を博し、
映画界に進出すると、「 お嫁さんにしたい女優No1」に何度も輝きました。
テレビCM、テレビドラマにも長きに渡って出演されたため多くの世代で知られています。
私も八千草薫さんは知っていましたが、おばあちゃん役のイメージが強いです。
今回の月刊平凡では、若い頃の清楚系美人の八千草薫さんをたくさん見れました。
若い頃は綺麗な女性、年齢を重ねてからは可愛い女性。
こんな歳の重ね方って、すべての女性の理想ですね~ ♪
お2人には子供はいませんでしたが、
愛犬を飼っていて、お二人でとても可愛がっていたそうです。
夫婦仲もよく、おしどり夫婦として死別するまでの50年を連れ添いました
八千草さんは旦那様を亡くして12年後の2019年にすい臓癌のため逝去されました。
八千草薫さんには代表作となる映画もた~くさんあります。
このブログが書き終わったらまず、1961年の映画【 ガス人間第一号 】を観ます ♪
映画のタイトルこそヘンテコですが、内容はしっかりしていて面白いらしいです。
アマ〇ンプライムですぐ観れるので楽しみです(*^^*)
八千草薫さんのご冥福をお祈りいたします☆
今回もお付き合いいただきありがとうございました ( ^ ^ ♪
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