♪ ドブネズミみたいに 美しくなりたい~ 

写真には映らない 美しさがあるから~

リンダリンダ リンダリンダリンダ

リンダリンダ リンダリンダリンダ

もしもボクが いつかキミと 出会い話し合うなら

そんな時は どうか愛の 意味を知ってください

愛じゃなくても 恋じゃなくても キミを離しはしない

決して負けない 強い力を ボクは一つだけ持つ~ ♪


【 リンダリンダ 】 作詞・作曲 甲本ヒロト



昭和62年は、THE BLUE HEARTS がデビューした年です。
私はこの歌を初めて聴いて、一発で魂をもってかれました~♪
以来、アルバムを聴きまくって、カラオケで歌いまくったものです。
私たち世代は、歌っていた曲でその時代を思い起こすカラオケ世代!
この時期は、ブルーハーツ・BOØWY・ハウンドドック を聴くと当時が蘇ります。


そんな昭和62年は西暦ですと1987年。
80年代末期に差しかかります。
私的には成人してクルマに乗り遊びまわっていました。
妻と出会う前でしたので、ほぼ毎週のように飲み会をやったりして(笑)
フワフワ浮かれていた頃で~す。




こんばんは、
この当時はカラオケに夢中だった ほのぼの館長です


今回はGOROその13です。
見切り発車で始めてから早くもシリーズ13回目となりました。
雑誌GOROは、発行期間18年間で全422冊。
今回までで、な・なんと325冊を読み切りました。
もう既にラストスパートなので、お付き合いくださいマセマセ~♪


さて、昭和62年(1987年)といえば32年前です。
ほぼ忘却の彼方ですよね。

ざっくりですが32年前の主だった出来事からおさらいしてみましょう。
まず、当時一世風靡していたおニャン子クラブが解散します。
そして、ワンレン・ボディコンが大流行し始めますよ~。
『 ワンレン・ボディコン・舘ひろし 』 オッケーバブリー(笑)

でもって、、地価の異常高騰が始まるよ~ (コワイコワイ)
この年、初めて1坪当たりの地価が1億円を突破(東京銀座)
遂に本格的なバブル期を迎えるのでありま~す。

昭和62年の流行語は朝シャン・カウチポテト・ゴクミ・地上げ屋・花キン。
サラッサラッ~っと意味を。
◆朝シャン
〔意味〕 朝、頭を洗うこと
◆カウチポテト
〔意味〕 カウチに横たわってポテトチップを食べながら、テレビやビデオを見て過ごすライフスタイルのこと
例文:ウチの妻は、お仕事をやめて以来ず~っとカウチポテト(笑)
◆ゴクミ
〔意味〕 国民的美少女として一躍有名になった後藤久美子さんのこと
◆地上げ屋
〔意味〕 この時代の地上げ屋とは、バブルで異常高騰した土地を強引な手段で買い取り
莫大な利益を上げていた裏社会の人たちのこと
◆花キン
〔意味〕 花の金曜日の略で、この年から週休2日制の会社が増えたことからそう呼ばれていました。

昭和フリークの皆様には説明不要だったかな?


とま~、流行語からも当時の記憶が蘇ったと思われますので、、
ぼちぼち、おっぱじめまひょか~♪


昭和62年の雑誌GOROいってみよー

まず、’87 ベスト表紙がこちら~


 昭和62年8月13日号
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 13才の後藤久美子さんです。
小学5年生の頃からモデルを始め、12才で女優デビュー

後藤久美子さんのキャッチコピーは【 国民的美少女】。
現在に続く《 国民的美少女コンテスト》は、第二の後藤久美子を探せというコンセプトのもと
この1987年から始まったものなのです。
世に言う 美少女ブームの先駆け的存在となっていました。
また、先程の流行語で紹介した通り、後藤久美子さんの愛称:ゴクミは
1987年の流行語:銅賞も受賞しています。



 そして今回紹介する、1987年(昭和62年)1年分24冊がこちら
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前年までのおニャン子パワーは息をひそめます。
変って、南野陽子さん斉藤由貴さん大西結花さん浅香唯さんなど、
スケバン刑事に出演の女優さんたちが多く表紙を飾るようになりました。

そして、、上記の1年分を読み終えた感想ですが、この時期のGOROは過激になっています。
元々、雑誌《GORO》は総合男性誌という位置づけでした。。
今をときめくアイドル・女優さんたちのグラビヤが巻頭を飾り、
ファッション・恋愛ネタ・車・音楽・青年コミック等々当時の若者をターゲットに絞った総合男性誌。

・・・・だったのですが、、
バブル期に本格突入したこの時期のGOROは、、エロばっか(笑)
ファッション・車・音楽に関する記事もあるにはありますが、
そのウェートの置き方が変わったというか偏りが大きくなったというか。。
まぁ~需要と供給!時代的変化なのでしょう ♪

そんなこんなで、グラビア等も多少過激になっていますがご容赦くださいマセマセ


ではでは~

昭和62年のグラビアコーナー いってみよ~



杉本彩さん18才
 昭和62年3月12日号より
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地元の京都でモデルの仕事をしていたところ、芸能事務所にスカウトされデビュー
デビュー当初は、スタイルの良さから当時の流行だったボディコンのキャンペーンガール等で活躍。
19才から【 オールナイトフジ】のアシスタント役に抜擢され、
堂々とした立ち振る舞いや媚びないセクシーさから多くの女性ファンを獲得しました。
また、歌手活動では 〔 学園祭の女王 〕と呼ばれ学園祭に引っ張りだこでした。

24才で個人事務所:オフィス彩を設立。
26才の時にはヘアヌード写真集を連続して発表。
官能小説を執筆したり、映画《 花と蛇 》の主役に抜擢されるなど、、
自らを〔 エロスの伝道師 〕と名乗ってバラエティー番組にも多く出演していました。
この当時、私も杉本彩さんが出演している番組を好んで見ていました~(///∇//)キャー
とても主張の強いバイタリティー溢れる、、、エロい人でした(爆)


現在は50才になられています。
杉本彩さんはちょっと驚きの転身ぶりです。
現在、公益財団法人に認定された動物環境・福祉協会Eva 理事長を務めています。
ブログを拝見したところ、動物愛護活動に精力的に取り組んでいるようです。
そして期待を裏切らない美魔女さんでもあります。
興味のある方はどうぞ~  杉本彩オフィシャルブログです
https://ameblo.jp/sugimoto-aya



高樹沙耶さん23才
 昭和62年2月16日号より
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 23才の高樹沙耶さんです。

沙耶さんは、高校時代に原田真二さんのコンサートを観たことがキッカケで、
17才の時、『 私もたくさんの人を幸せに出来る仕事をしたい 』という思いで上京します。

1983年、映画《 沙耶のいる透視図》の主演に抜擢され女優デビュー
以降、この主演映画の役名であった高樹沙耶を芸名としています。
高樹澪さんと同じパターンですね。。。by ほのぼの昭和博士(笑)

1990年頃からは作詞家としても活躍
なんと、、BB.クィーンズの〈 しょげないでよBABY〉も沙耶さんの作詞です。
私も大好きな番組【 はじめてのおつかい 】の主題歌なのでビックリしました。

1998年、中西圭三さんと結婚しますが、2000年に離婚。
2002年、フリーダイビング競技で水深53mの日本新記録を達成
2011年、沖縄県石垣島に移住しキャンプ施設を経営開始。
2016年、大麻取締法違反で逮捕。

現在は55才になられていますが、日焼けしたお顔がとても健康的です。
ツイッターを拝見したところ、現在も石垣島で《キャンピングロッジ虹の豆》を経営してます。

 高樹沙耶さんのツイッターです。
https://twitter.com/ikuemiroku?lang=ja

実際にこのロッジに宿泊した方のブログ記事を拝見しました。
『 今まで経験したことが無いジャングルのような異空間で大自然というより秘境と呼べるレベル!』
っと、とても感動されていました。
私も沙耶さんの経営するロッジの映像を見ましたが本当に大自然に包まれたイイ感じのところでした。
そのうち一度行ってみたくなりました~♪

我が家で最後に沖縄旅行をしたのは長男君が高校3年生の夏休みでした。
夏期講習を避けるためお盆時期のトップシーズンにいきました。
めっちゃ楽しかったな~♪ 石垣島では普通にでっかいヤドカリがお散歩していて感激しました。
今度沖縄に行った時は、沙耶さんのロッジに泊まりますよ~♪



佐野量子さん19才
 昭和62年9月10日号より
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 19才の佐野量子さんです。

16才の時、テレビドラマ《 気分は名探偵 》で女優デビュー
さらに同年、デビューシングル【 ファーストレター 】でアイドル歌手としてもデビューします。
天然キャラでバラドルとしても人気がありました。
26才の時に、天才ジョッキーの武豊さんと結婚 ♪
結婚を機に芸能界は引退されました。


現在、50才になられています。
そして現在も天然ぶりは健在で若々しく可愛いです。
3年程前に夫婦揃って、バラエティー番組《豊さんと憲武ちゃん!旅する相棒~1泊2日京都編》に
ご出演されていた映像をネットで観ました。
夫婦円満で仲睦まじく暮しているご様子でした。


そして一番驚いたのが武豊・量子さん夫婦の自宅です。
これ自宅なの??ってくらい超豪華なお城でした(笑)

これです  (画像お借りしました)
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 メディアの露出は本当に20年ぶりなんですって!?

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 ね~ ♪ めっちゃスゴイでしょ

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 こちらは、佐野量子さんが16才で初めて出演したテレビドラマ《 気分は名探偵 》を
木梨憲武さん・水谷豊さん・武夫妻の4人で観ることになったのですが、、
量子さんが恥ずかしがって武豊さんに『 観ないでよ~』ってじゃれているところで~す(笑)
夫婦円満で仲睦まじく暮しているのは間違いなさそうです♪

アイドルや女優さんも、結婚した相手によって全然違った人生になってしまうんですね。。
わたし、GORO記事を書くようになって本当にそのことを実感しています。



宝生桜子さん18才
 昭和62年9月10日号より
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18才の宝生桜子さんです。
デビュー当時から、ヌード写真集・ヌードビデオを発表していました。
幼さの残る愛くるしい童顔に巨乳というアンバランスさで人気がありました。
幼少期のあだ名が『 ウランちゃん 』ってところが時代を感じます。
『 ウランちゃん 』とは鉄腕アトムの妹で、お目めがパッチリの可愛らしい女の子です。

ウランちゃんはこちら  たまたま持ってました~♪
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 ヤクルト・アトムズのコップです。で、、確かに宝生桜子に似てますね~ ♪
ヤクルト・アトムズとは1970年に誕生したプロ野球チームです。
その後、1973年にはヤクルト・スワローズに名称変更しています。

宝生桜子さんは現在49才になられています。
1994年に芸能界を引退されてからはネット調べても全く情報がありませんでした。
現在は一般人として暮しているようです。



石野陽子さん19才
 昭和62年4月9日号より
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 当時19才だった頃の石野陽子さんです。
姉の石野真子さんの楽屋に遊びに行った時にスカウトされ17才でデビュー
デビュー曲は《 テディーボーイ・ブルース 》。← 曲名が完全に80年代だ~(笑)

デビュー翌年には、当時人気だったバラエティー番組【 志村けんのバカ殿様】や
【 志村けんのだいじょうぶだぁ】に出演し知名度を上げました。

志村けんさんとの交際は、19才の時(1987年)から15年間続いたそうです。
二人の息がピッタリ合ったコントはそういったところから生まれたんですね。
『 ソコまでゆう、早見優、北天佑、ラー油、しょうゆ、アイラブユ~♪ 』
これ憶えてますか? 

 〔 けんと陽子の就寝コント 〕 黄金コンビと言われていた頃で~す ♪
https://youtu.be/Rwz7WTukqUQ
(映像お借りしました)

現在50才ですが、まだ結婚されていないようです。
芸名は〔石野陽子〕 → 〔いしのようこ〕と平仮名に変えています。
ホンワカした雰囲気は今も健在でバラエティーや女優さんとしてご活躍されています ♪



当時話題になった少女Bこと
中森明穂さん20才
 昭和62年9月24日号より
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 この当時のトップアイドルだった中森明菜さんの妹で、中森明穂さん20才です。

テレビドラマ【 スケバン保母さん ツッパリ風雲録 】【 赤ちゃんに乾杯!】などに出演。
また、ヌード写真集やイメージビデオにも発表されました。
・・・が、ブレイクには至らず引退されました。。
ビックネーム中森明菜さんの妹ということで、当時は話題になっていました~♪



早川愛美さん19才
 昭和62年2月12日号より
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 19才の早川愛美さんです。

18才の時に、高田馬場のファッションヘルス〔サテンドール〕に在籍中に超人気風俗嬢として、
テレビ番組に出演することとなり風俗界のアイドルとなりました。

その後、深夜番組《 TV海賊チャンネル》のレギュラー出演、
《 オールナイトフジ 》の中で〈 美味ちんぽ倶楽部!FAXしましょ〉という人気コーナーで
レギュラー出演して話題となっていました。
これらのテレビ出演と同時期にAV女優に転身します。

・・・で宇宙企画の専属女優となったわけですが、、、
そのAVの内容は何故かいつものソフト路線なのです。。
風俗嬢からAV嬢になっているという事は、皆が周知の事実なのに。。(笑)

とはいうものの、雑誌《 ビデオボーイ》の読者投票では1985年と1986年の2年連続で優勝!
1987年には〔 六本木スキャンダル〕でレコードデビューも果たし、
ソロでレコードを出した最初のAV女優となります。

 その頃出版された写真集です。
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最近でもAV女優さんがテレビに出ることはありますが、80年代後半は特に多かった。
しかし不思議なことに、上の写真集の表紙でも分かる通り、、清純派として出演するのです。
オールナイトフジに出演していた時も、一般の女子大生よりずっとウブな清純な女の子という
イメージだったりするため、観てる側としては釈然としない矛盾が。。。モウイイ!

そして、1990年に芸能界引退しました。
たった5年間の活動期間だった訳ですが私にとっては印象深く記憶に残っています(笑)


ロマン子クラブ
 昭和62年1月22日号より
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 おニャン子なんかブッ飛ばせ!って大丈夫なの(笑)

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 平均年齢19.2才のロマン子クラブです。
おニャン子クラブが大ブームを起こしていたこの時代に突如現れた9人組グループ。

日活ロマンポルノがおニャン子クラブのパロディとして結成した便乗企画です。
ロマンポルノの看板女優になる逸材を養成する!? といった目的もあったそうです。
この当時、この中から有名になった〔 新田恵美〕さんは〔 新田恵利〕さんのソックリさんです。

『 えっ!これっていいんだ~!?』 って思った記憶があります(笑)

本物の新田恵利さんのファンの方は全然似てない!と怒るかもしれませんが、、
私的には、ソックリだと思います  ゴメンナサイ




小林ひとみさん21才
 昭和62年1月8日号より
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 21才の小林ひとみさんです。

ハッキリ言いますが、大好きでした~!
私、、このページを見た瞬間『 よっしゃー!』って言ってしまったよ ♪
たぶんウチの子供たちも、このブログ見ると思うので多くは語りませんが。。
あ~語りたい~ ダメo((o>ω<))oゼッタイダメ~
小林ひとみさんの事なら1時間くらい余裕で話せますよ~(笑)

1986年、松本かおりの芸名で 《 ときめき・かおり19歳 》 というタイトルの
写真集とイメージビデオを同時発売し芸能界デビューしました。
同年、芸名を小林かおりに改名しAVデビュー

AV女優と呼ばれるようになった第一号が小林ひとみさんなのです。
そして~1986年のデビューからたった3年間の活動で、60億円の売上げ記録した昭和のAV女王なのです。

1989年、休業宣言して事務所社長と結婚。
1991年、AV復帰。
2003年、AV引退。
2009年、銀座の高級クラブでママを始める。

現在は55才になられています。
そして今現在も、銀座にある《 クラブHitomi・K 》でママをされているようです。
お客様はかなりの確率で、、『 昔お世話になりました~ ♪ 』と言うそうです(爆)




さぁ~ここから~

気になる記事ベスト3



第3位
プリンセス・プリンセス デビュー

『いままであった女の子ロックバンドを超えるワ』
 昭和62年7月9日号より
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 媚びない感じがカッケ~! 因みに、この時点ではヒット曲は1曲もないんですよ~

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 1987年、女の子バンドの代名詞となったプリプリが遂にデビューで~す
男女問わず絶大な支持を受けることになる伝説のスーパーガールズバンドが誕生しました~。

上の記事にもあるように、初っ端からてっぺん目指してます。
ほんとカッコい~ガールズバンドだったんですよ。
奥居香さんの自由奔放な弾けっぷりが堪らなく好きでした~♪

♪ もう二度と~ 開くことの無い~ 宝の地図~
選んだ~心のビートが走り出すから~ ♪


 当時の夜ヒット出演時の【 19 GROWING UP 】 です。
https://youtu.be/StdgFhH1SPs (映像お借りしました)
これまたトリップ感が凄まじかった~鳥肌立ったよ~(笑)

私がプリプリを知ったのは1988年リリースの【19 GROWING UP 】からです。
この曲を皮切りにヒットを連発していました。
だがしか~し、初めから順風満帆だったわけではないのですよ~。


プリプリのメンバー5人の来歴を簡単にまとめます。
1983年、TDKレコード主催のオーディションで、各楽器パートの優勝者がガールズバンドを結成する企画。
このオーディションで勝ち残ったのがプリプリの5人でした。

結成したガールズバンド名は《 赤坂小町 》といいます。
その後、一人もメンバーチェンジすることなくプリプリへと変わっていくのですが。。
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左から、渡辺敦子19才:ギター、中山加奈子19才:ギター、奥居香17才:ベース、
富田京子18才:ドラム、今野登茂子18才:キーボード

上記の画像で、お分かりかと思いますが、、
当初、所属事務所は5人をアイドル路線で売りだそうと考えていたようです。
〔 楽器が弾けるアイドルグループ 〕 がコンセプトでした。

 雑誌GOROの1984年3月8日号に《 赤坂小町 》の記事を見つけました。
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 プリンセス・プリンセスとして登場する3年前の、《 赤坂小町 》の頃のインタビュー記事。

当初は自分たちのやりたい音楽をさせてもらえずアイドルっぽい仕事ばかり。
そのことに違和感を覚えた5人は、事務所移籍を考えます。

《 赤坂小町 》から 《 プリンセス・プリンセス 》 となり、更にチャンスを掴み取って
ガールズバンドの頂点に君臨するまで幾多の紆余曲折があったのです。
それでも諦めず自分たちのやりたい音楽を追及していった5人の団結力がスゴイんです。

赤坂小町時代の5人のエピソードがあります。
メンバー5人は昼間の練習とは別に、夜間に別スタジオを借りて自主練習をしていた。
何故なら、、、昼間の練習では事務所の人間がいたため、
あれこれ言われるので自分たちのやりたいことが出来なかったから。。

この時期、自分たちでスタジオを借りるためにだけに名乗っていた別名があった。
所属事務所にもらった《 赤坂小町 》ではなく、メンバー5人で考えた別名《 ピアス 》。
5人で頑張ろうと結束を固めるため誓いのピアスを開けたのが別名の由来だったそうです。

そしてもうひとつ、、
自主練習のテーマは『 納豆ゼリー 』。
納豆とゼリーは普通は別々に食べるけど、ひょっとしたら一緒に食べても美味しいんじゃないか。
何事も先入観を捨ててやってみよう!
それがこの当時の5人で決めた自主練習のテーマ。
プリプリになってから発表された曲のいくつかの原型がこの時期に作られていたのです。

プリプリの曲の作詞・作曲はメンバーのオリジナルです。
他人がつくったものでなく、自分たちで作った歌を歌っていこう!
これもメンバーで決めたことで、最後までそれを貫いていたんです。
【 19 GROWING UP 】 作詞:富田京子、作曲:奥居香
【 世界でいちばん熱い夏 】 作詞:富田京子、作曲:奥居香
【 Diamonds 】 作詞:中山加奈子、作曲:奥居香
【 ジュリアン 】 作詞:中山加奈子、作曲:奥居香
【 M 】 作詞:富田京子、作曲:奥居香

1989年、女性だけのバンドとしては初の日本武道館公演を行う。
1995年、ミュージックステーションにて解散宣言。
1996年、日本武道館ライブにてプリンセス プリンセス 解散。

バンド活動は赤坂小町時代も含めて13年間にわたりライブの観客動員数は190万人を記録。
13年間で発売されたシングルは21枚、アルバム15枚、オリジナルソングは120曲。

現在、ウェキペディアで 《 プリンセス・プリンセス 》を検索すると、
〈 女子のみで構成されたバンドの中で、商業的に日本で最も成功したグループである。〉
と書かれています。
私もこの昭和時代の生き証人として断言できます!
プリンセス・プリンセスは間違いなく昭和を代表する伝説のガールズバンドでした~


第2位
大友康平さん31才
 昭和62年9月24日号より
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 31才の時の大友康平さんです。

この1987年には、シングルでは【 DIAMOND EYES 】アルバムは【 BE QUIET 】を発表!
そして上の記事1987年9月24日号に大友康平さんの記事が載ったこの時期は、
史上初の全国200か所を巡る超ハードツアー〔 Bloods Live 〕の真っ最中でした。

私的には、1985年発売のLP【 Spirits!】と1989年発売のLP【 GOLD 】は
特に聴きまくり~~♪ カラオケでも歌いまくり~♪

私が当時カラオケで一番たくさん歌ったのはこれかな。【 Ambitious 】 ♪
 https://youtu.be/79Vz7kaEvA8
(映像お借りしました)


当時から大友康平さんが大好きでした
ハウンドドックの大友康平さんも、俳優をやっている大友康平さんも、
最近では秘密のケンミンSHOWに出演してる大友康平さんもです。

大友康平さんは現在63才になられています。
まだまだエネルギッシュにミュージシャン・俳優・タレントとして活躍中です。
最近では康平さんのソロ活動となっていますが、ハウンドドック4人の再結成を心から願っています。

最後に私が一番好きな曲【 Believe 】です ♪
https://youtu.be/1nwzRWyip1k (映像お借りしました)
 康平さんのバラードは天下一品です。是非聴いてくださいね~♪



第1位
ザ・ブルーハーツ メジャーデビュー
『 メジャーだからってオレたちは変わらないよ』
 昭和62年5月28日号より
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 この1987年にメジャーデビューを果たしたTHE BLUE HEARTSで~す
〈 パンク=反社会的 〉を払拭しパンクロックを表舞台に引っぱり出した伝説のバンドでした。

ブルーハーツの曲は、リズムも歌詞も超シンプルなのに、

真っ直ぐに胸をめがけて突き刺してくる強烈なメッセージがありました。


【 トレイン・トレイン 】
弱い者達が夕暮れ 更に弱い者をたたく 
その音が響き渡れば ブルースは加速していく
見えない自由が欲しくて、見えない銃を打ちまくる
世界中に定められたどんな記念日なんかより
あなたの生きている今日はどんなに素晴らしいだろう!


もぉ~ スゴ過ぎて。。歌詞が。。
とにかく当時の私はブルーハーツに骨抜きにされましたよ~(笑)


1985年に結成、1987年にメジャーデビュー、1995年に解散。
10年間の活動で、この時代を生きた若者たちに与えた影響は計り知れないものがあります。
私自身も、、ものの見方や価値観を変えられたひとりです。

デビュー当時にりりースした、【 人にやさしく 】 【 リンダ・リンダ 】で初っ端から衝撃を受けました。
自らの作詞・作曲で、その優しく力強いメッセージを歌にした甲本ヒロトさんに惚れました。。

 デビュー間もない頃の超懐かしい映像です。
https://youtu.be/gW08EgQF4lw
(映像お借りしました)

・・・ヒロトさん改めて観るとヤバいですよね。
デビュー当初から、、突然裸になるわ、鼻はほじるわ、イジリー岡田ばりに舌をぺろぺろするわ(笑)
こんな奇行ともとれるパホーマンスをやってたんです

因みに、、
甲本ヒロトさんの奇行は病気でもなければ、キチガイでもありません。

ヒロトさんの経歴を紹介します。
実は子供の頃から裕福な家庭に育ち、優秀な児童が通うことで知られている
岡山大学教育学部付属小学校に、お受験で経て入学し中学生までは内部進学します。
高校からは岡山操山高校(偏差値65)とこれまた県内トップクラスの進学校に進学しています。
高校生時代にはロックバンドをやっていたようです。
そして大学は都内の法政大学経済学部に入学しましたが、、
真島昌利さん(マーシー)と運命の出会いがあり、、
バンド活動に夢中になったことで大学は中退しています。

話しを戻します。。

カッコ良さの基準って色々あると思います。
ブランドで着飾ったカッコ良さとか、髪型のカッコ良さ、考え方のカッコ良さ。。
私が甲本ヒロトさんをカッコイイと感じたのは、上っ面じゃないカッコ良さでした。

見た目は超ヘンテコで、更にはちょいアブナイ感じのパホーマンス、
でも歌は、物事の本質を捉えた胸を突き刺すようなメッセージソング。
人として大切なのは目に見えないカッコ良さなんだよ~って教えてくれたんです。


大好きな楽曲とグッときたフレーズを紹介しますね。。

 【 僕の右手 】

人間はみんな弱いけど 夢は必ずかなうんだ
瞳の奥に眠りかけた くじけない心
今にも目からこぼれそうな 涙の理由が言えません
今日も明日もあさっても 何かを探すでしょう

 【 僕の右手 】 作詞作曲:甲本ヒロト
https://youtu.be/xj1Qyw06wLI
(映像お借りしました)

この曲はカラオケで気持ちよく歌えるので好きでした~♪




【 終らない歌 】

世の中に冷たくされて 一人ぼっちで泣いた夜
もうだめだと思うことは 今までの何度でもあった
本当の瞬間はいつも 死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは 今まで何度でもあった


 【 終らない歌 】 作詞作曲:甲本ヒロト
https://youtu.be/cvFNEGD2-fY
(映像お借りしました)

この歌私のツボでした。。これ聴きながら何回も泣いたな~。。(笑)




【 人にやさしく 】

人は誰でも くじけそうになるもの~
あああ~ 僕だって 今だって
叫ばなければ やり切れない思いを
あああ~ 大切に捨てないで~
人にやさしく してもらえないんだね
僕が言ってやる でっかい声で言ってやる
ガンバレって言ってやる 聞こえるか~い
ガンバレ~!


 【 人にやさしく 】 作詞作曲:甲本ヒロト
https://youtu.be/1AB1vpo1y-Q
(映像お借りしました)

この曲は、ヒロトさんがインディーズ時代に作った曲です。
マーシー(真島昌利)はブルーハーツ結成前にこの曲を聴いて衝撃を受け
ヒロトさんにバンドを組もうと持ちかけた。。。この曲が伝説の原点!




【 世界のまん中 】

川の流れの激しさに 足元がふるえている
燃える炎の厳しさに 足元がふるえている
僕が今見ているのが 世界の片隅なのか
いくら探したって そんな所はない

 【 世界のまん中 】 作詞作曲:甲本ヒロト
https://youtu.be/Fih68Y0YxnE
(映像お借りしました)

私が当時、ブルーハーツの楽曲の中で一番好きだったように思います。
今もこの曲聴きながら書いているので多少ノリノリで~す(爆)




とま~、このままだと全曲いっちゃいそうなのでやめます。
【 少年の詩 】、【 1001のバイオリン 】とかものスッゴイいい曲ですよ~。
ヒロトさんが作った曲はどれもこれもセンスがあって意味があって
聴けば聞くほど味出るスルメのような、、深いメッセージ性があるんです。
シングルカットされていない曲でも名曲が沢山あります。
本当に素晴らしい曲ばかりなのです。



1995年、 THE BLUE HEARTS 解散。
その後は、、
長年の相棒であるマーシー(真島昌利さん)とHIGH-LOWSを結成。
これまた絶大な人気を博しますが2005年に解散。
ここまでで、2つも伝説級のバンドにピリオドを打ちます。

そしてさらに~、
2006年には・クロマニヨンズを結成。
現在も活動中です。

甲本ヒロトさんは私が知っている天才アーティストでは桑田佳祐さんに並ぶ超ド級の天才です。
天才の定義は簡単なんです。
売れる曲を何曲作ったかだから。
売れてない名曲は実は名曲じゃないんです。
本当の名曲は必ず売れているんです。
そして後々、複数のアーティストさんがカバーします。
何十年も経ってからCMソングに起用されたりね。。

たまたま奇跡的に名曲を作って一発売れても、まぐれの人はその一曲で必ず終わります。
名曲を連発出来る人が本当に才能のある人!
だから甲本ヒロトは本物の天才なのだと思っています。

 50才を過ぎたヒロトさんの映像です。
https://youtu.be/vRr6pUbRCas
まだまだ現役でロックな感じがカッコイイですね ♪

甲本ヒロトさんは現在55才になられています。
現在もバンドの結成と解散を繰り返しながらも常に情熱的に、、
そしてロックに生きています♪



以上、《 雑誌GOROの時代 その13 》でした。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。

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