ほのぼの昭和館に、

新しい仲間が加わりました~  

昭和時代を象徴するマストアイテム!

スペースインベーダーゲーム

ジャジャジャジャーーーン!
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 存在感がありすぎて、チョイ邪魔です (笑)


けっこー悩みましたが、ココに置きました。。
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え~と、今更ですが、、
スペースインベーダーゲームとは?
スペースは宇宙、インベーダーは侵略者。
要するにそのまんま、、侵略してくる宇宙人を迎撃するゲーム。
ブッ!ブッ!ブッ!ブッ!っという不気味な音とともにジワジワ攻め寄ってくる
カニ?タコ?のような宇宙人の団体さんをミサイルで撃ちまくり~
全滅させることを目的としたシューティングゲームです。

調べてわかった事ですが、このゲーム実は凄いんです!
敵キャラが自機に対して攻撃を仕掛けてくるゲームとしては、
世界で初めて大ヒットしたシューティングゲームなのだそうです ♪


勿論、日本でも大ヒットして社会現象となりました。
日本全国にゲームセンターが次々に開店するキッカケとなったり、
喫茶店のテーブルが一斉にインベーダーゲームのテーブルに変ったり。。
その後、数多く登場するデジタルゲームの祖とされています



・・・う~ん。。そのスゴさを伝えきれない。。。。

もうすこし丁寧に説明しますね。

まずは、インベーダーゲームが登場する以前のゲーム事情から。
既存のゲームは、プレイヤーの気分を良くする為の接待型が主流でした。
『 お金を払ってもらってるのだから楽しませますよ~ ♪ 』
という、ゲームをやる側のストレス解消の要素が大きかったのです。
例えば、制限時間内に止まっている標的をバンバン打ちまくってスッキリ~!
みたいな感じですね。

それに対しインベーダーゲームは真逆でした。
それまで無かった斬新な機能が初めて加わったのです。
プレイヤーに向かって打たれるミサイル攻撃!
逃げても逃げてもドンドン自陣に攻め入りバリケードを破壊し息の根を止めにきます。

そしてプレイ時間も、、それまでのゲームのように5分は存分に楽しんでね♪
というような生温いものとは全く違って、、
ゲームに不馴れなプレイヤーには時間的にも2分足らずでゲームオーバー。。
『 ゲームに負けたんだからとっとと帰れや!』
という非情なもので、強烈な敗北感を突き付けるゲームでした。


案の定、このインベーダーゲーム完成直後の、
〔新作ゲーム展示会〕で、制作者の西角友宏さんは批判を受けまくります。
味方であるはずの社内からも、ゲーム機を販売する問屋さんからも、、
『 ゲームをやってくれるお客様を攻撃するとは何事だ!』
・・かなり強烈なバッシングの嵐だったようです。

遂には、上司命令が下される事態となります。
『 こんな不快なゲーム誰もやらない!スグ作り直せ!!』
しかし、制作者の西角さんは、、
『 出来ません!!』
上司命令を真っ向から突っぱねました。
そこには、それまで一人っきりで独自に取り組んできた信念があったのです。
当時は会社で上司に楯突くことなど許されない封建的な時代だったはず。。
クリエーター魂がハンパない!!

私は、制作者の西角友宏さんの書籍を読ませて頂いたのでわかります。
このインベーダーゲームを完成させるまでの知られざる苦闘の日々を。。
プログラムからキャラクターデザインまで本当に一人で作っちゃったんですよ~ ♪



そして、、
たった一人のクリエーターが
『 私は絶対に作り直さない!』と自分のポリシーを貫いた瞬間、
現在に語り継がれる
《 最初で最後の二度と起こらない奇跡 》
が幕を開けるのです。

バッシングの嵐だった〔新作ゲーム展示会〕から間もなく、
在庫処分的な扱いで、なんとか発売にこぎ着けたインベーダーゲームは、
ゲーム関係者の予想を裏切り、爆発的な人気を呼びます。
そのインカム収入はそれまで聞いた事の無いような驚異的な数字を叩き出していったのです

大卒平均初任給が約10万円の時代でした。
そしてこの当時、インベーダー1台が1日に稼ぐ売り上げが10万円以上!
たった1日で大卒の月給を越えたのです。
閑古鳥が鳴いていた喫茶店に行列が出来るという奇跡が日本中で巻き起こります。

そしてインベーダーが起こした奇跡はその後、数々の伝説を生みます。

私が検証できた伝説を3つほど紹介します。

【 伝説1】
当時のゲームセンターの現金回収車は通常バンタイプが主だったが、
インベーダーブームの頃は、100円玉の重量が重すぎて重量オーバーになるため、
この当時だけ、4トントラックで回収されるようになった。
↑ 様々なところで紹介されているので本当だと思われます。


【 伝説2 】
売り上げの100円玉は毎日集められて最寄りの銀行に持ち込まれるが、
当時のゲームセンターから毎日持ち込まれる膨大な量の100円玉に悲鳴を上げ、
日本全国で多くの銀行が引取りを断る事例が相次いで発生した。

当時の調査によると国民一人当たり平均して、
月4900円もインベーダーゲームにつぎ込んだ計算になるそうです。
その結果、日本国内の100円玉が足りなくなるほどの社会現象となったため、
日銀はこの年、例年の3倍の100円玉を発行しました。
↑ これも調査済みの実話です。


【 伝説3 】
もともと在庫処分的な扱いで発売開始されたため、
爆発的な注文が全国から押し寄せても全く対応できなかった。
製造元であった【タイトー】は、急遽工場フル稼働したが捌き切れない事態となった。
当初の売り出し価格は1台58万円であったが、生産が間に合わなくなったブーム全盛期には、
1台1000万円にまで取引価格が跳ね上がった。

その状況を見た他の国内メーカーが一斉に無断コピーした〔偽インベーダー〕を発売し出します。
当時、数十種類もの無許可〔偽インベーダー〕が市場に出回りました。
【タイトー】は無断コピーの抑制策として国内メーカー同士では初めてとなる製造許諾に踏み切った。
因みに、本家【タイトー】の売上げはインベーダーゲームだけで、
当時2,000億円を超えていたそうです。



【 伝説のおまけ 】
もう1つ、おまけの伝説があります。
日本でインベーダーゲームのブームが終焉を迎えた1980年、
当時、アメリカのカルフォルニア大学に留学中であった孫正義さんは、
日本からインベーダーゲーム機を350台買取り、
アメリカに輸出し現地のレストラン等にリースし半年で1億円儲けた。。
↑ これも本当の話です。。あ~孫さんと結婚すればよかった。。←アホ

以上が、インベーダーにまつわる伝説です。。
制作者の西角友宏さんに関する伝説もスッゴイのがたくさんありますが、
今回はインベーダーゲームに関するものだけにします。



そんな伝説のインベーダーゲームの誕生は1978年。
2018年-1978年=40年
今年でちょうど40周年なんですね~。
㈱タイトーでは今年、発売から40周年を記念して6月16日を、
【 スペースインベーダーの日 】に制定、日本記念日協会に正式に認定されました。

・・1978年ってことは、私が小学6年生12才。
そんな私も今年の12月で52才になるので。。
52才-12才=40
ホント40年も経つんだ~。やぁ~ね~(笑)

このゲームが実際に話題となったのは発売翌年の1979年。
突如として起こったインベーダーブーム!
忘れもしない、、私が中学1年生の時でした。

駄菓子屋の10円ゲームしか知らない田舎者の私には衝撃でした。
近所にある薄暗いインベーダーホールにも行きましたよ~。
あの時、心臓ドキドキだったな~。。
大人の階段の~ぼる~~的な緊張感がありました(笑)




・・・で、
今回のインベーダー入手のキッカケですが、、
半年前、昔ながらの駄菓子屋さんで~、
壊れて放置されていたインベーダーを発見し無料で頂きました ♪
次に、完全に壊れていたこのゲームを直すためネットで業者さんを探しました。
レストアが完成して我が家に届いたのは2カ月前になります。
修繕費は約2万円でした。

 発見時はこんな感じで5台くらい放置されていました。
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 その中から外傷が少ないものを1台いただきました。
上の写真に写っている躯体はボロ過ぎたので別のをいただきました~


 コントローラー部は修理業者さんが在庫していたので交換して頂きました。
そして、、内部も汚れていたので部品類を一旦全部外して丸洗い。
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 20インチブラウン管はテストして問題ないとの事なのでそのまま使っています。
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 画面両端にある〔 遊び方説明 〕はネットで別途購入(500円)。
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 修繕完了!見違えるほどキレイになりました~♪
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では、実際にやってみましょう

 初動画です。妻のスマホで撮ってもらいました~♪
https://youtu.be/4pQ_9X63AP0

・・・はい、そーなんです。。私めっちゃヘタです。。(笑)
名古屋打ちなんて絶対できません。。挑戦したこともありません。。
昔はもう少しマシだったように記憶してますが。。。


 ネットで上手な人の動画を見つけましたのでどうぞ ♪
https://youtu.be/MLSSxLe_AFE
(映像をお借りしました)

このゲーム機、ただ直しただけじゃないんです。
新たに〔 アーケード クラシックス 〕というゲーム基盤(中古)を入れてもらったので、
これ1台で55種類のゲームが出来ます。
インベーダー発売当時の1979年から1984年頃までのヒットしたゲーム。
インベーダー・ギャラクシアン・パックマン・ドンキーコング・ゼビウス等が出来ます♪

 セレクト画面
DSCF4435
 ドンキーコング
6
 パックマン
9
 ゼビウス
iiuhh55
 ギャラクシアン
5
 アーケードゲームの中で一番好きだったのがこの〔ギャラクシアン〕でした~♪
・・・とはいっても、実際あまりやった事なかったんですけど。。


現在では全くゲームをやらない私ですが、
小・中学生の頃は、ゲームにハマってましたよ~!
因みに、高校生の頃流行っていた任天堂のファミコンには全くハマりませんでした。
高校生から現在までゲーム関係では夢中になったことがありません。
現在もガラケーなので、スマホゲームのパズドラとかも一度もやった事ないです。

なので、私が夢中になったゲームは生涯2種類だけ!
まず1つは、小学生の頃に流行ったポケットメイト(笑)
http://honobonoshowa.blog.jp/archives/6385492.html←過去記事
そして2つ目は、中学生の頃流行ったゲーム電卓〔デジタルインベーダー〕
この2種類のゲームには、がっつりハマってました~♪


 インベーダー繋がりで紹介します♪
CASIO ゲーム電卓MG‐880〔デジタルインベーダー〕
88
 コチラは1980年製の当時物です。
数年前にヤフオクでゲットしました~♪

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 足して10になるとUFOが出るんですよね ♪
当時はUFOを3つとかためて、まとめてキューン、キューン、キューン、って連続して打つのが好きでした(笑)


 右:デジタルインベーダー(1980年)、左:エイトアタック(1981年)
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 両方とも動作良好で今でも問題なく遊べます。

1980年、CASIOから発売され学生を中心に一大ブームとなっていた
ゲーム電卓の第一弾〔デジタルインベーダー〕ですが、、
1980年といえばデジタルゲーム元年!!
任天堂ゲームウォッチが発売開始した年でもあります。
デジタルインベーダーは、この後続々登場することとなるキャラクター物とは違って、
数字のみのシンプルなゲームでした。

ゲームのやり方は、、
右側から攻めてくる数字と化したインベーダーに侵略されないように、
数字を合わせて打って迎撃し全滅させるとクリア!
1面クリヤする毎にスピードがドンドン速くなっていきます。
単純なゲームですがコレがなかなかエキサイトしたんですよね~♪

私の場合、インベーダーのテーブルゲームはそうでもなかったのですが、
こちらのゲーム電卓:デジタルインベーダーの方はハマったんですよ~

 ゲーム電卓MG‐880の懐かしい動画です。
https://youtu.be/BP3snsh7D5U
(映像をお借りしました)



では、最後にまとめま~す ♪
インベーダーゲームはピーク時には全国に30万台以上も設置されていました。
後に同じくブームとなった〔ゼビウス〕でさえ1万5000台なのに。。
この台数からも、いかにインベーダー人気が激しかったかが分かります。

そして、この当時の全国にあったインベーダーハウスは、
《 非行の温床、不良の巣窟 》と呼ばれるようになります。
実際に様々な犯罪が生まれました。
当時のインベーダーゲームは、市場全体でいえば1日で26億円を稼ぎ出すモンスターマシンです。
暴力団関係者が資金調達の新しい収入源としていたり、、
少年たちはゲーム資金欲しさに犯罪に手を染めたり、、
インベーダーを巡る多種多様の事件が連日報道され社会問題となったのです。
警察、学校、PTAによる監視体制が強化されるなどし、
〔インベーダー禁止令〕を発令する学校も出てきます。
大手ショッピングセンターのダイエー、イトーヨーカ堂などはいち早く
インベーダーゲームを撤去するなど、社会からインベーダーを閉めだす動きが始まりました。
そうなってくると一気にブームは沈静化していき、
1年6カ月ほどのインベーダーブームは終焉を迎えました。。

色々と問題が続出したインベーダーゲームではありますが、
その後、ゲーム大国日本として世界的に認められるようになる地盤をつくりました。
インベーダーバブルが終わり、インベーダー自体は廃れていきましたが、、
その翌年から日本のゲーム業界は、地に足を着けながらも着実に黄金期に突入していったのです。
それは日本のゲームの素晴らしさを世界に向けて知らしめたインベーダーがあったから、
そして、インベーダー制作者の西角友宏さんの情熱があったからなのだと私は思います。

以上、《 インベーダーゲーム 》でした。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
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