バブル前夜の昭和58年、、、







こんなテレビドラマが流行っていました。。








母親『どこいってたの?』








少女『どごだっでいいじゃねーがー!』






昭和58年の大ヒットドラマ【 積木くずし】
視聴率45.3%
(ドラマランキング歴代第1位)


まさに時代はツッパリブームど真ん中!!
この驚異の高視聴率テレビドラマの背景には、
当時社会問題となっていた未成年の非行がリンクしていました。


更に同年映画化され、そちらも大ヒット!
私はこの映画のテレビCMで、主演の渡辺典子さんが放った一言、
『 どごだっでいいじゃねーがー!』
・・が、すご~く強烈に印象に残っています。。
そして私、、この当時は渡辺典子さんも好きでした。。← マタカ
本命は伊代ちゃんでしたけどね。。← モウイイ


この昭和58年(1983年)の主な出来事といえば、
東京ディズニーランドが誕生したり、
爆発的ブームとなった【 おしん 】が放送されたり、
元祖家庭用ゲーム機、任天堂のファミコンが発売開始されたり、
スティーブン・スピルバーグの【 E.T.】が大ヒットしたり
そしてそして、、私の大好きだったテレビドラマ【ふぞろいの林檎たち】が放送開始された年でもあります。。


どうでしょうか~?



なんとな~く思い出しましたか??



あの頃の事。。。



あなたは、この昭和58年、ドコでナニしてましたか~(笑)





そんなこんなで、
今回は昭和58年(1983年)にスポットを当て、
この年発行分の雑誌《GORO》をお届けいたします。


まずは、’83ベスト表紙!!

こちらです、
 昭和58年1月13日号  
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 ベスト表紙は、16才のKYONこと小泉今日子さんです。

KYONといばボーイッシュなショートカットのイメージですが、
デビュー当時はセミロングだったんですよね。
私はショートより、この頃のセミロングの方が好きでした~♪


 昭和58年(1983年)1年分がコチラ
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 1983年は、この24冊になります!
表紙は、前年に派手にブレイクした花の82年組が大半を占めています。
唯一83年デビューの森尾由美さんが異彩を放っていて、この年の表紙を2回飾っています♪

それでは今回も毎度のごとく、、この24冊からピックアップして紹介しま~す



ほんじゃ~


いってみるく~ (古っ)





斉藤慶子さん21才
 昭和58年3月10日号より
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 斉藤慶子さんは20才の時、JALキャンペーンガールで芸能界デビュー♪
デビュー当時は、まだ熊本大学在学中でしたが、←優秀デス!
ちょうどこの頃、女子大生ブームであったためCM・グラビヤ・ドラマなど
引っ張りダコとなり大学は中退しています。

また、この年(1983年4月)から、【 ミスDJリクエストパレード】の火曜日担当を務めます。
因みに前任者:川島なお美さんからのバトンタッチでした。
ラジオ世代の私は、この番組もよく聞いていました~♪
当時、ラジオから聞こえてきた斉藤慶子さんは、可愛く明るい声でサバサバした話し方が大好きでした~。
その後も、知的で明るい高学歴女優さんとして多方面でご活躍されていました。

現在56才になられています。
1度離婚もなされていますが、2011年にショップジャパンの創業者と再婚されていて
現在もお幸せに暮らされてるようです。





可愛かずみさん18才
 昭和58年5月26日号 と 8月25日号、2冊分まとめて~♪
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 昭和58年8月25日号より
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 可愛かずみさん18才です。
デビューは日活ロマンポルノなのですが、、それには色々事情があったようです。。

当時の状況をネットで調べました。
高校在学中にスカウトされて某モデル事務所に登録します。
登録して間もなく、日活の宣伝ポスターの仕事の依頼がきます。
可愛さんは、何も知らずに一旦引き受けてしまいますが、
ポスター撮影でヌードになることを知り、、断ったところ、、、
その担当者が怒られているところを目の当たりにし、
それに同情した彼女は、最終的に引き受けてしまいます。
更には、そのポスターがキッカケとなり、
監督の目に留まり今度はポルノ映画本編の出演要請を受けます。
それに対しても、「考えさせてほしい」と言ったそうですがモデル事務所からの強い勧めもあり、
きわどいラブシーンをしないという条件で承諾したそうです。。。


断りきれない状況をつくられてしまった。。。たぶん。。
ロマンポルノ映画の出演はこの1作のみでした。

しかし、、この映画を足掛かりとし芸能界デビューします ♪
同年、シブがき隊の主演映画に出演が決まり、歌手デビューも果たします。
そして、デビュー当時出版したグラビア写真集は当時の若者に絶大な人気となって~
あっという間にブレイク!一時代を築きました。

芸能界の中でも、可愛さんの人柄についての評判はとても良かったようです。
テレビで見た通りの裏表のない性格だったのでしょうね。
可愛かずみファンとして、テレビで公言している著名人は、
とんねるずの石橋貴明さん、ダウンタウンの松本人志さん、高嶋政宏さん等々、、
業界内でも沢山の人に好かれていたようです。

私が可愛かずみさんの印象として残っているのは、
なんといっても、深夜ドラマ【 トライアングル・ブルー】(1984年~1986年)です。
ドラマの中で、川上麻衣子さんとのコンビで突然DJというコーナーがあって面白かったな~。
このドラマ、ドラマといいながらもバラエティーっぽくて、
若かりし、とんねるずさんの暴走気味のアドリブが満載で私はそこが好きでした~♪
タカさんが川上麻衣子さんの事を愛着をもって(?)『 上海豚 』とよく言ってたのですが、
それに対し川上さんが顔を赤らめてマジ怒りするシーン思い出しますよ~♪


そして1995年、、テレビで知った突然の訃報。。
告別式の模様をテレビ放送されていたのですが、
取材で現場にいたリポーターさんが言い放った言葉に救われました。。
『 私の立場で言っていいのか分かりませんが、もうそっとしてあげたいです』
私も同感でした。。
もちろん私にも何があったのか全くわかりませんでしたが、、
素直で裏表のない彼女のことだから。。。
きっと何かにつまずき傷ついて悩んで、、
最終的に自分を追い込んでしまったのでしょう。。
リポーターさんの発言は、天真爛漫で沢山の人に愛された可愛さんの人柄が偲ばれるものでした。。

 当時の突然DJコーナーです。
https://youtu.be/iW7H9aQFGUw
(映像をお借りしました)





鳥越マリさん17才
 昭和58年2月24日号より
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 鳥越マリさんは、この昭和58年にJALキャンペーンガールとして芸能界デビュー!
この時、17才でした。

そして~、デビューと同時に、
この年の4月から始まった新番組【 オールナイト・フジ 】の司会に大抜擢。

ちょうどこの時代は、、、
1981年から始まったラジオの人気番組【 ミスDJリクエストパレード】で
現役女子大生を起用し人気を得るなど〔女子大生〕というブランドに世間が注目を集めていた時期。
【 オールナイト・フジ 】は、そこに目を付けて乗っかったものと思われます。。

そして、、
鳥越マリさんのような高校卒業したての完全素人を起用することで、
プロのアナウンサーとはまた一味違う、危うさを前面に押し出していました。
出演者についても、全員が現役女子大生の〔オールナイターズ〕を結成し、
町に出てロケするにも、ちょっと照れたりオロオロする感じが新鮮でした。。

そしてそこに、まだ芸人として駆け出しの〔とんねるずさん〕がレギュラー出演しており、
素人同然の女子大生達に対し、台本にないアドリブで混乱させる構図がよかったのかも。。
何が起こるか分からないハプニング感があり観ていて面白かった~♪

その結果、【 オールナイト・フジ 】は、女子大生ブームを加速させることとなり、
番組の人気に伴い、鳥越マリさんの人気も同時に上がっていきました。

とんねるずさんも【 オールナイト・フジ 】に出演したことで、
一気にブレイクしましたし、アイドル並の絶大な人気を得ることになりました。
この頃のとんねるずさんはホント勢いがあって面白かったです。
因みに、私はノリタケ派(木梨憲武さん)でした♪
この当時、とんねるずどっち派?っていう会話がよくあったので。。
特に私は、コント中のドロップキックツッコミが好きでした~♪


また脱線しました。。
そんなこんなで、、鳥越さんは当時の男子高校生・大学生に人気者となりました。
番組終了後も、歌手・女優へとステップアップしています。

現在は53才になられています。
1999年に外資系金融マンと結婚されたというところまでは、
ネットで調べてわかったのですが、それ以降の情報が何もありません。
芸能活動はしていないようなので、きっと出産・育児に専念されて、
お幸せに過ごしていることと思われます。

 当時のオールナイトフジの懐かしい映像です
https://youtu.be/zOda7ufUxw0
(映像をお借りしました)
映像が古いため音声が多少ズレています。。スミマセン





つちやかおりさん18才
 昭和58年6月9日号より
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 女優デビュー4年目で18才のつちやかおりさんです。

芸能界デビューは15才(1979年)【 3年B組金八先生 】でした。
1982年に、デビュー曲《恋と涙の17才》でアイドル歌手になります。
この時期、かおりさんも〔 聖子ちゃんカット〕でしたね ♪
歌唱力があるアイドル歌手として、ファンも多かったように思います。
その後は、テレビドラマ・レポーター・グラビアなどで活躍していました。

1991年に元シブがき隊のふっくんと結婚します。
ふっくんこと布川敏和さんとは、高校生の頃からのお付き合いだったそうで、
結婚前の交際期間は9年間あったようです。
そして、、結婚と同時に芸能界引退し、専業主婦となり1男2女をもうけます。

2014年、まだ記憶に新しいところですが二人は離婚しています。
ネットで調べたところ、ふっくんはアイドル時代から女性関係がお盛んだったようです。。
かおりさんは過去に何度も泣かされてきたようです。
しかし、子供達のこともあって我慢してきたようなのですが、
離婚に踏み切った直接の原因は、ふっくんの酒癖の悪さだったそうです。

かおりさんも現在、53才になられています。
現在は、優しい彼氏さんと仲睦まじく青山にオープンした飲食店で働いているようです。
長い間辛い思いをしてきたのですから、今後は幸せになってもらいたいものです。






山本博美さん19才
 昭和58年10月27日号より
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 19才の山本博美さんです。

この当時、山本さんは1982年から1983年にかけて活動していた、
アイドルグループ《 きゃんきゃん 》の一番人気、今でいうセンターをつとめていました。

 きゃんきゃんのシングルレコードです。山本博美さんは真ん中。
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 (画像をお借りしました)

1984年からは当時話題の深夜番組【 チャーム・ミントタイム 】の司会に抜擢されます。
この【 チャームミントタイム 】という番組名だけでは憶えている方も少ないように思います。。
私自身も遠い記憶すぎて完全に忘れていたのですが、
番組名で調べなおしたところ、、番組詳細を読んでいくうちに思い出しました~♪
ナンパーマンが出てた番組です!!

ちょっと脱線します。
私が、この当時大好きだった《 ナンパーマン 》について説明します。
【 チャームミントタイム 】の中の〔今週のミントレディー〕というコーナーがありまして、
松澤一之さん扮する《 ナンパーマン 》がオフザケをするんです。
その内容は、、
表参道で通りすがりの一般人ギャルに声をかけ、
散々インタビューと称して品定めをして
『 入浴シーンを撮らせて貰えないかな?』 とお願いをし、
承諾をした一人暮らしのギャルのアパートに押しかけ、
女の子が準備をしている間に、部屋の中をあさりまくり~
入浴シーンのスタンバイが出来ると、、
『 今、この中に〇〇ちゃんが入ってパチュ、私も入ってみたいと思い~パチュ!』
という、毎週お決まりのセリフを言ってお風呂に突入するんです。
突入の際には、先程お部屋をあさって見つけた下着などを頭に被って突入してました~♪

私個人的には大好きなコーナーでした(笑)
今では絶対不可能な企画だと思います。。多分テレビ局へのクレーム殺到です。。
昭和ならではの企画ですね~。。
やっぱり昭和って大らかでいい時代だったんですね~。。←アホ

そして、、、ナンパーマン(松澤一之さん)が面白かった~♪
あの頃の松澤さん、私には輝いて見えてました~~(爆)
現在は個性派俳優としてドラマ・映画などに出演していますが、
私は今でも松澤一之さんを観るとナンパーマンを思い出してしまいます。。


話しを戻します。
その後、山本博美さんは俳優の京本政樹さんとご結婚され芸能界を引退されています。
現在56才になられていますが、現在も夫婦関係は良好で一人息子の京本大河我さんは
現在ジャニーズJrに所属されてるそうです。
美男美女の子供なので想像通りのイケメンさんです。

 深夜番組【 チャーム・ミントタイム 】の映像です。当時のバブリーな雰囲気がよく出ています。。
https://youtu.be/HIfoMSJSmx4
(映像をお借りしました)




藤谷美和子さん19才
 昭和58年1月1日号より
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 19才の藤谷美和子さんです。

藤谷美和子さんは14才で《 カルビーポテトチップス 》のCMで話題になると、
15才で【 青春ど真ん中! 】 【 ゆうひが丘の総理大臣 】
16才で【 あさひが丘の大統領 】などの、当時人気があった青春学園ドラマにたて続けに出演し、
明るく活発な生徒役を演じて人気者となります。

私にとっては、この当時の藤谷美和子さんが一番印象に残っていて、
笑顔の可愛い生徒役がハマリ役だったように思います。。

その後も、NHK朝の連続テレビ小説【 心はいつもラムネ色 】のヒロインに抜擢されるなど
順調に女優としてご活躍されていました。
30才の時、〔 愛が生まれた日 〕で歌手デビューもしています。
この曲はデビュー曲ながら132万枚を越えるミリオンセラーを記録しています。
私もこの当時は、この曲大好きでよく歌ってました~♪
デュエット曲の定番でしたからね。。彼方此方で100回くらいは歌ってたかも(笑)

藤谷さんはバラエティー番組にも頻繁に出演し、
独特な珍解答を連発するなど独自の世界観をもっていて、
それが原因で〔プッツン女優〕などと呼ばれるようになります。
私には、藤谷さんの番組を盛り上げるためのサービス精神だったように思えましたが。。

また、近年ではマスコミ報道により、小田原市内徘徊・奇行などと週刊誌に書かれていましたが、
実際はただの散歩だったようです。
マスコミが記事を面白おかしくするため大袈裟に書いたようでした。

現在は55才になられていますが、
小田原市で母親とスナックを経営しているようです。
藤谷さんのファンサイトで調べたところ、女優時代よりも毎日が楽しいと言っているそうで、
老若男女を問わず地元の方たちとも仲良くされているようです。
周りを楽しませるサービス精神旺盛な彼女なので、、納得ですね♪
・・・それなら私も小田原に行って藤谷さんと、〔 愛が生まれた日 〕デュエットしてこようかな~(笑)


 藤谷美和子さん(14才)カルビーポテトチップスCM
https://youtu.be/l-AcOqJCf48
(映像をお借りしました)






松本伊代さん18才
 昭和58年7月14日号より
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 松本伊代さんデビュー3年目の18才です。

82年組の伊代ちゃんですが、83年もヒット曲を連発していま~す♪
チャイニーズ・キッス(1983.3. 3)
太陽がいっぱい(1983.6. 1)
恋のバイオリズム(1983. 8.25)
時に愛は(1983.11. 23)

そしてこの83年、話題になっていたテレビドラマが、
松本伊代さん主演の〔私は負けない!~ガンと闘う少女~〕でした。
ストーリーは、伊代ちゃん演じる高校生の少女が、、
若くしてガンに侵されて、骨肉種により足を切断するも亡くなってしまう。。。
そんな、実話に基づいたシリアスなドラマでした。
 そのドラマの主題歌が【 時に愛は 】です♪ メロディも歌詞も良いので聞いて下さい~♪
https://youtu.be/u9qHar0sN6U
(映像をお借りしました)




★さて、ここから~
’83気になる広告コーナー




ビクター:VHSビデオデッキ新発売
 昭和58年12月8日号より
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 まだ一般家庭には高嶺の花であった頃のVHSビデデッキです!
価格は298,000円って、、高すぎる。。

GORO広告には載せていますが、普及するのはまだちょっと先の事。
この2年後以降になってくると、価格も10万円台で買えるようになり一気に普及します。
そして、、1985年以降にはレンタルビデオ屋さんが爆発的に店舗数を増やします。

ビデオが発売される前の時代は、、
テレビ番組を録画するなんて大それたこと考えもしませんでした。
私の世代は〔ザ・ベストテン〕などの歌番組を録音するために、、
テレビの前にラジカセを直置きして、、家族に『 しぃ~静かにして~』ってやってました(笑)

どんなに大好きな番組があっても、見逃したら諦めるしかなかった。。
全ての番組は、一期一会だったのです。
今更ですが、現在のように予約していつでも見れるなんて、、すごい時代になったもんだ(笑)




ソニー:ベータマックス新発売
 昭和58年11月24日号より
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 ベータマックス知ってる人は50代以上かな?

VHSビデオカセットよりひと回り小さいベータマックス!?
私の知人も一人だけコチラを持っていました。。
私も詳しくないのですが、VHSより画質がイイらしい?

この広告から2年後の1985年頃の話ですが、、
ベータを選んだ知人が言ってました。
レンタルビデオ屋さんにVHSなら見たい映画があるのに、、
ベータだと限られたものしか無くて見れないと。。

ネットで調べてみると、家電品史上例のない規格対立戦争だったようです。
VHS陣営、日本ビクターを規格主幹として松下電器産業・シャープ・三菱電機・日立製作所。
ベータ陣営、ソニーを規格主幹として東芝・三洋電機・NEC・ゼネラル・アイワ・パイオニア
家電業界を真っ二つに分けた、スタンダードを勝ち取る伝説の戦いだったんですね。。




富士写真フイルム:フジカラーHR
 昭和58年4月28日号より
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 これまた懐かしい。。35㎜フィルムですよ~♪

多分、私たち世代がフイルム式一眼レフにどっぷりハマった、、最後の世代。。
私より若い40代の人は一生の中で一番写真を撮る子育て時期に、
デジタル一眼になっていたはずなので。。
51才の私でさえ、後半はデジタルでしたから。。結構フイルムで粘った方だと思う。。

フイルム時代はお金がかかったな~。
いつも10本入りのお得用〔ヴィーナス400・36枚撮り〕を買ってました。
デジタルと違い、、フイルムは撮った写真を確認するには現像するしかなかった。
ほぼ毎週、現像してもらうため行きつけのカメラ屋さんに行ってたな。。
私の行っていたカメラ屋さんはカメラを1台買うと1年間有効の現像代半額券が貰えたので、
毎年1台一番安いカメラを買ってました~(笑)
それでも、半額券が無いと現像代が高くつくので。。しょうがない。。。

カメラ事情は、その頃と比べると今は全然違いますね。。
今のスマホ内臓カメラは性能が良くて、、当時のフイルム一眼程度の写真が撮れるらしいし。
24枚毎にフイルム交換なんて面倒な事しなくても、記録媒体がSDカードだから何枚でも撮れるし。
失敗した写真は現像する前にPCで確認できるから無駄な現像代がかからないし。。

それに~、、昔はカメラバックは必需品でした。。
その中には、重たいカメラ・重たい望遠レンズ・重たいフラッシュ・予備のフイルムとか、
更には、、重たいカメラを支える重たい三脚も持ち歩かないとならないし。。(笑)
・・・まぁ~今はホントに便利になりましたね




日本コロムビア:ステレオ
 昭和58年3月24日号より
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 このタイプのステレオが私の世代のステレオで~す。

カラーボックスの上に置けるタイプね♪
価格はちょっと高めですが、世代的にステレオは高校入学祝いで買ってもらうのが定番の時代でした。。
それと自転車、、ブリジストン・ロードマン(笑)

それよりも~、この広告をチョイスした訳は伊藤かずえちゃんです(笑)
やっぱりカワイイ~!!特に左側のカジュアルVer.の方ね ♪
現在でも時々テレビで見かけていましたが、、ちょっと変わっちゃったな~って思っていました
でもこの当時のかずえちゃんは間違いなく可愛かった~♪
あ~よかった~

調べてみたところ、ちょっと驚きの真実が、、、
伊藤かずえさんは既に12才でレコードデビューしていました。
しかも~デビュー曲は演歌【 ひとりぽっちの村祭り 】!
当時、最年少演歌歌手だったそうです。



パイオニア:バイブレーション
 昭和58年3月10日号より
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 ふるえてしまった。バイブレーション(笑)

このシーンは当時テレビCMでもよく流れていました。
 当時のCMです。ご覧くださ~い ♪
https://youtu.be/1NVFXDyDj-w
(映像をお借りしました)

めっちゃ青春してますやん!キュンキュンしてしまうがな!!
BGMの【 so much in love 】もナイスチョイスすぎて泣きそうです(笑)

この時代、ラジカセはデカいが流行ってますが、
ステレオは小さくなって、ミニコンポが流行りだします。
そして、、またまた家電各社が競い合ってミニコンポのテレビCMを流していました。
当時、私の友人がコレと同じ感じのミニコンポでパイオニアのプライベートを買ってもらっていて、
めっちゃ羨ましかったこと思い出します。。
私のはオンキョーのオーソドックスなタイプだったので((泣))










ではでは~、、、


’83気になる記事ランキング


いってみるく~





第3位
たこ八郎さん42才
 昭和58年6月23日号より
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 42才のたこ八郎さん(本名:斎藤清作)です。

 相変わらず飲んでますね~
GOROの取材中もチューハイをクピクピしてま~す(笑)
この当時、超売れっ子でしたからテレビでたこ八郎さんの赤ら顔はしょっちゅう見てました。
ピンクのスーツで『 たこで~す』と言っただけで笑いを取れる芸人さんでした。。

たこ八郎さんの経歴をまとめました。
仙台市内の農家に8人兄弟の次男として生まれる。
少年時代に友達と泥んこの投げ合いをしていて、
泥んこが左眼に当たったことが原因で、左眼の視力をほとんど失う。
高校ではボクシング部に入部し、2年生時には県大会で優勝!
その後上京し、、
左眼の障害を隠すため視力表を丸暗記してプロボクサーになった。
22才の時に、第13代日本フライ級王座獲得。
左眼が見えない事を相手に悟られないよう、
相手のパンチをかわさず打たれ続け、さらに挑発的な言葉を相手に投げかけ
相手が打ち疲れ戦意を喪失したところでラッショをかける戦術だった。
どんなに打たれても倒れず、耳元で『 効いてない効いてない 』とささやき続ける戦法(笑)
対戦相手は、それが本当に怖かったと語っていたらしい。。
しかし、、パンチを受けすぎたため頭部へのダメージによりパンチドランカーとなり引退。。

コメディアン・俳優で元ボクサー。
ボクサー現役時代の愛称は《 河童の清作 》。
ボクサー引退後、同じ宮城県出身という理由で、コメディアン由利徹さんに
弟子入りし役者として芸能界デビューします。
コメディアン時代の座右の銘は《 迷惑かけてありがとう 》でしたね ♪


人気絶頂期の1985年7月24日海水浴場で飲酒後の海水浴で心臓麻痺により死亡。
この訃報は、この当時レギュラー出演していた《 笑っていいとも! 》の放送中、
タモさんによって全国に伝えられ、弔問に訪れた際には、
『 たこが海で死んだ。何も悲しいことはない。』 と、たこさんの死を悼みました。
最後まで印象深い人物でした。。






第2位
初代タイガーマスク:佐山聡さん25才
 昭和58年10月27日号より
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 タイガーマスク:佐山聡さん25才の記事です。

アントニオ猪木さんの全盛期(1975年頃)以来、ほとんどプロレスを見ることは無くなっていたのですが、、
タイガーマスクの登場で、この時期、再びプロレスに興味を持ちました。
佐山聡さんの繰り出す技はアニメのタイガーマスクそのまんまでした。
それまでに見てきたどのレスラーとも違いました。
空中殺法で大好きだったミル・マスカラスさんよりも格段の差があったんです。

素早い動きから繰り出す見た事もない大技の連発に完全に心を打ち抜かれました~
一気に大ファンになった私は毎週欠かさずテレビ観戦するようになります。
毎試合、期待を裏切らない超人技を見せてくれていたので全く飽きることが無かったです。

ローリングソバット・サマーソルトキック・フライングボディアタック~♪
そしてそして、、大好きだったのは、、
相手のバックブリーカーを空中で体をひねってかわして~からの~タイガースープレックス


と~にかく強かったし、めっちゃカッコよかった~
最後の大詰めで、相手を詰め切るまでの技のかぶせ方がハンパなかった~

タイガーマスクとして活動した2年4カ月間の通算成績は、、
155勝 1敗 9分け!
シングルマッチはもちろんですが、タッグマッチを含めても一度もフォール負けが無い!!

そして、、全国的に空前のタイガーマスクブームを巻き起こします。
当時のプロレス名実況!
古館伊知郎さんによって『 四次元プロレス 』 『 四次元殺法 』 と形容されていました。
タイガーマスクの試合を中継した視聴率は、毎週25%超えてました。
先程、YouTubeで昔のタイガーマスクの試合中継をいくつか観ましたが、
どの地方興行先でも大入り満員で大歓声が上がっていました。
この時期のプロレスブームは、佐山聡さん一人で創ったものでした。


で、、、GOROの記事に戻ります。。
記事は、その人気絶頂期に突如引退を宣言した時のものです。
引退理由は、会社側との考え方の違いといったところでしょうか。。
自身の結婚を制限されたこと、社内のクーデター等々が絡み合っていたようです。

佐山聡さんは、この記事の中で、自分の生き方の信条として『 正しい道を歩むこと 』 と語っています。
自分の信念に反することをすれば、必ず悪い形で自分にはね返ってくる。
自分をおとしめたくないために、正しく生きていくと。。。
・・・リアル正義のヒーロー。。。また惚れました。。(笑)

そしてその決別の方法が、、、
1983年8月10日、新日本プロレスに契約の解除を申し出て引退。
その直後、当時の人気バラエティー番組【 欽ちゃんのどこまでやるの⁉ 】にゲスト出演し、、
自らあっさりとマスクを脱ぎ捨てテレビでイキナリ素顔公開しました。。トリッキー

今でも根強いファンがいるのも納得です。
伝説の覆面レスラー佐山聡さんは去り際まで伝説でした。
初代タイガーマスク佐山聡さんもまた、昭和のリアルヒーローでした ♪♪

 当時の人気絶頂期の映像です。
https://youtu.be/qnxkhCv-k08
(映像をお借りしました)






第1位
赤川次郎さん35才
 昭和58年5月12日号より
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 赤川次郎さん35才の記事です。

まず、皆さんご存知のところかとは思いますが簡単にまとめます。

中学生の時に【 シャーロックホームズの冒険 】に出会い、
見真似で自らミステリー小説を書いたのが始まりでした。。
高校卒業後は普通にサラリーマン生活に入りますが、
作家志望であったため小説は書き続けていました。
1975年頃から新人賞に投稿するようになり、
翌年の1976年、【 幽霊列車 】でオール読物推理小説新人賞を獲得!
これをキッカケに28才で小説家デビュー
デビューしたての頃はまだサラリーマンでしたが、、
2年後【 三毛猫ホームズの推理 】で世間の脚光を浴びると、
これを契機に小説の依頼が一気に増え、睡眠時間を取れないほど多忙となり、
奥様に背中を押されるかたちで、12年のサラリーマン生活に終止符を打ちます。

そして、30才で専業小説家となると、その直後に【 セーラー服と機関銃 】を発表します。
その後も、続々とベストセラーを連発し、作品が映画化・ドラマ化されるなど、、
誰もが認める、超売れっ子作家となります。
数々の賞を受賞しキャリアを積んでも、創作意欲は衰えることなく執筆活動を続け、
毎年20冊前後の作品をコンスタントに世に送り出しています。

偶然ではありますが、
今年、平成30年は、赤川次郎さんの作家生活40周年なのです。
この40年間で発行した著書、な、な、なんと600冊以上ですって~!
累計発行部数 3億3000万部を超えてる!?


私も、思い起こせば10代の後半で赤川次郎さんの小説に出合い、
読みやすく物語のテンポも良くユーモア溢れる作風に一気に虜になりました。
一時期本棚が赤川次郎さんの作品で一杯になっていたこともあります。
そして、、私の場合、何年か周期で急に赤川次郎さんのユーモアミステリーが読みたくなるのです。
でも、、最後に読んだのはいつだったかな~??
お昼寝前に小説を読むのですが、最近では赤川さんの作品は無かったような(笑)


・・・ここで、私の薄っぺらでしょーもないコメントを止めにしまして(笑)
赤川次郎さんの40周年お祝いコメントを紹介します。
以下、ネットからの引用です。

〔 内田康夫 〕
僕が一念発起して推理作家への道を歩むことになったきっかけは、
赤川次郎さんの作品に影響された部分が大きい。
赤川さんは今さら言うまでもないが、軽快な筆致でいともあっさりと、
次々に名作をものにしてきた。
ユニークな登場人物や型破りなキャラクターを世に送り出し続け、
しかも題材を現代から時代物に至るまで幅広く発掘した才能は
多くの作家の誰も及びつかない。
圧倒的な作品数と部数で多くの出版社を潤し、老若男女の読者を
活字の世界へと引き寄せた功績は多大なものだ。
僕がもし総理大臣だったら、迷うことなく赤川さんに国民栄誉賞を
贈呈したいところである。


〔 西村京太郎 〕
赤川さんはいつも若い
だから若いファンが離さないのだ


〔 森村誠一 〕
宵の明星、明けの明星が東、西の空に輝くように、書店に入ると
赤川さんの本が目に入る。
40年前、盟友笹沢左保氏から電話が来て
『凄い新人が出たぞ。オール読物新人賞【幽霊列車】を読め』
と興奮した声で云われた。
その明星が40年後の今も燦然と輝いている。
浮沈の激しい文芸の”最強の戦友”である。


・・・ということで、、
GOROの記事から35年経っています。
記事には、作家になって5年目の若き日の赤川次郎さんの思いが綴られています。
『作家って、現実に適応できない恨みつらみを小説で晴らしているんです。』
『でも好きなことをコツコツやってたら、いつの間にか食べられるようになった。』
食べられるようになってからも、更に35年間も経っていますが、
驕り高ぶることなく、創作意欲を枯らすことなく、堅実に歩み続けてこられたのですね。

現在70才になられていますが、
昨年69才で新シリーズ〔主人公・亜矢子〕を発表しております。
赤川さんの情熱を枯らさない生き方に改めて感動しました。
私も見習いたいものです。←ムリムリ
私も、、何でもいいから好きなことをコツコツやって何かカタチあるものにしたい。。。
そんな前向きな気持ちにさせてくれた赤川次郎さんの記事でした~♪♪


以上、《 雑誌GOROの時代 その9 》でした。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
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